僕のお仕事 index/novel
12.堂目さん  1.2.3.4.5.
 

 
 なんとかエレベーターに乗り込んで、1階まで降りた。
 ロビーを抜けて、ガラスの回転ドアをくぐると、久しぶりに見る外の景色が、そこにあった。
 歩道とガードレール、等間隔の街路樹、赤いポストと、コンビニの青い看板。
 正月も5日ともなると、巷もちゃんと活動していた。歩行者がかなりいる。
 
「うわあ……」
 空気が冷たい。お正月で車が少なかったせいか、空気が澄んでいる。
「空調とは違う……生の空気だね、久しぶり……」
 めいっぱい深呼吸した。
 冷たい空気で、頬が熱くなっているのがわかる。
 エレベーターの鏡にも、上気した自分の顔が映っていた。
 恥ずかしいな。こんな顔で人混みを歩くなんて……。
 
 
「こっち来い、車回すから」
 裏の駐車場の出入り口の方向を指さす。
「えー、運転、できるんですか?」
「当たり前だろ。ピックアップも営業も、運転できてなんぼだ」
「いいなあ、僕は取りたかったけど、お金が貯まらなくて……」
 情けない笑いを、光輝さんに向けた。
 仕事が順調だったら、免許を取って、もっと割のいい仕事を……と考えていた頃もあったんだ。
 光輝さんの顔が、ちょっと暗くなった。
 あ、……こんなビンボ臭い話は失敗だ。僕は慌てて、歩き出した。
「ん……」
 ディルドが前立腺に当たると、足に力が入らなくなる。
 よろけた身体を立て直そうとして、踏ん張ったものだから、余計刺激してしまった。
「あぁ……っ」
 転ぶ!
 まるっきり身体が言うことを効かない。もうダメだと思った瞬間、
 ふわっと、宙に浮いた。
 両足が地面から離れる。
 光輝さんが、傾いた僕の身体を抱き留め、そのまま掬い上げたのだ。
「大丈夫か?」
 顔を寄せて聞いてくる。
「あ……、ありがとうございます……」
 お姫様抱っこを公衆の面前でされて、僕は戸惑ってしまった。
「だ……大丈夫です。降ろしてください……」
「いや、このまま行く」
 ええっ……。
 他の社員が見ているかもしれない。社長だって見るかもしれないのに。
 変な誤解を受けたくない。僕は懇願した。
「いいです、離してください! 降ろして……っ」
 もう歩き出している光輝さんは、僕の声など聞きやしなかった。
 自分の車の前まで抱えて行って、助手席に座らせてくれた。
「んっ……」
 座るときに、かなり刺激を受けた。腰を前にずらして、背中でシートに座る。
 バタン! と乱暴に、運転席に光輝さんが乗り込んできた。
「そんなに、俺に抱えられるのが嫌か?」
 シートベルトをしながら、横目で聞いてくる。
「えっ、いえ、誰かに見られて、へんな誤解を受けたら大変だと……」
 僕はびっくりして、声をひっくり返しながら、答えた。
 嫌なはずがあるわけない。許されるなら、ずっとしがみついていたいのに。
「……誤解、ね」
 エンジンをかけて、ハンドルを握る。
 サイドブレーキを引き下げた手が、僕の腕に触れる。その手を握れたらどんなにいいだろう。
 何処へ向かうのか、光輝さんは無言で車を滑らせた。エンジン音が低く心地よい。
 光輝さんの車は、真っ黒いシルビアだった。
「社長が、車は見栄を張れっていうから。ま、それでも俺のは普通だな」
 光輝さんによく似合っていると思った。
 
「そうだ、これを付けろって」
 だいぶ走って、広い公園の横にハザードランプで停車すると、ダッシュボードから万歩計を取り出した。
 僕のGパンのベルトに付けてくれた。
「歩いた歩数と、付けていた時間。記録が欲しいらしい」
「……はい」
 こんなモニタは、二度と嫌だと思った。
 適当な報告書にすれば、今度から僕を指名しないかなあ……。
「どうせ歩くなら、ここがいいと思って」
 光輝さんは自然公園のパーキングに車を止めた。
 長細い大きな池があり、ボートで遊べるようになっている所だ。古くからの森林や水流を活かした環境で、全体的にかなり広い。
「公園までちょっと歩くけど、どうせそれが目的だからいいよな」
 助手席から僕を降ろしてくれると、また僕の苦痛の時間が始まった。
 池の周りには所々にベンチがあるので、歩けなくなったらそこに座った。
 今年は暖冬のようで、寒すぎないのが助かった。
「ん……待って……」
 休んでも、身体の火照りは治まらない。
 歩けば歩くほど、刺激が蓄積されて、ズボンの前が相当大きくなっている。
 池の半周もしていないのに、ちゃんと歩けなくなってしまった。
 
「どうしよう……歩けない」
 ベンチに両足を上げて、横になっていた。
「……もう帰るか」
 心配そうに覗き込む、光輝さん。
 思案顔で池の向こうを見て、急に立ち上がった。
「ちょっと待ってろな。すぐ戻る」
「え……?」
 何処に行くというのだろう。
「誰かに声かけられても、無視しろ!」
 大声で言い残しながら、走って行ってしまった。
「………」
 油断すると、後ろが押し出されそうになる。
 時々ぐっと力を入れては、その後に襲われる刺激と闘った。
 はぁ……、はぁ……。
 下半身が熱い。もういっそ、自慰をして楽になってしまいたい。
 そんなことを思いついて、慌てて頭を振った。
 万歩計を傾けて見てみると、殆どカウンターは動いていなかった。
 そっと歩いているから、針が振れないのかもしれない。
「なんだ……意味無いじゃん……」
 一人ごちてみる。
 
 
 
「……巽……君?」
 不意に頭の上から声をかけられた。
 聞いたことがない男の人の声。
 身体を半分起こして振り向くと、細い銀縁眼鏡のお兄さんが立っていた。
 やっぱり知らない。
「……あの?」
 僕は、あまり人に会いたくない状況だから、困惑した。
「初めまして。私は尾崎コーポレーションの企画部にいる、堂目(どうめ)という者です」
 握手を求めてきた。
「ああ、会社の……。ごめんなさい、あの……僕は会ったこと……ないですよね?」
 やっとこ、手を握ると聞いてみた。
「ええ。私が一方的に知っているのです。私が企画した試作品を、レポしてくれたでしょう」
「あっ……!」
 僕は真っ赤になった。こんな所で、そんな人に会うなんて……。
「素晴らしい的確な評価をしてくれるので、とても参考になります。今後もヨロシクお願いしますね」
 爽やかに、笑顔を零した。
 一見、インテリ風で堅そうだけど、笑うと雰囲気が変わる。
 僕も曖昧に笑って、やり過ごした。なんて言っていいか分からない。
 挨拶だけすると、その人はグレーのロングコートを翻して、駐車場の方へ行ってしまった。
「すまん、待たせた」
 すぐに光輝さんが走って戻ってきた。頬が上気している。
「なんだ、起きたりして。大丈夫なのか?」
「あ……うん」
 僕は今の人のことを、言おうか迷った。
「なあ、どっちがいい?」
「え?」
 光輝さんの手にはおみくじが二つ、握られていた。
「!!」
 これを買いに走ってくれたのだ。本当は二人で買いたかったのかも。
「池の一番端にあるから。スゴイ走った」
 息を整えながら、笑った。
 僕も笑ってしまった。可愛いな……とか思って。
 僕より8歳も上なのに。
「じゃあ、こっち」
 向かって左を引き抜いた。
「小吉」
 紙を広げると、声に出して読んだ。
「普通だな。俺は……凶か。つまんねー。いっそ二人して大凶とか、大吉とかの方が面白いのに」
「あは、大凶はやだなー」
 詳しい運勢を読んでみる。
 ”今年は待ちの年。あせらず来る人を待ちましょう。
  良い仕事に恵まれます。
  大病の兆しあり。健康には気を付けて。”
 ふうん。……小吉のわりに、良い運勢だと思った。
「光輝さんの、恋愛運は?」
 凶には何が書いてあるのか気になった。
「つまんねーよ。引っ越せとか、当たって砕けろとか。健康だけはいいみたいだな」
 ぴらっと僕に寄越してくれた。
 ”南南東の方角が吉。そこに居をかまえれば、厄は防げます。
  思い人には想いを伝えるべし。
  大病はしませんが、不摂生をしなければ小病も防げます。”
 ……なんだこりゃ。凶っていい加減だなあ。
「おみくじって、面白いね」
 僕は笑いながら、紙っぺらを光輝さんに返した。
「これで今年が決まっちゃうなんて、へんな伝統」
「信じる信じないは、兎も角な。年始めの運試し、ラッキーかどうか位は分かる」
「フツーだったね」
 二人で声を上げて笑った。
「僕、もう大丈夫」
 僕はおみくじに勇気をもらって、元気になっていた。大事に胸ポケットにしまった。
 頑張って、ベンチに掴まりながら立ち上がる。
「ん……」
 さっきまでよりはマシだった。
 Gパンの前も落ち着いていたし。
 でも、光輝さんの顔が曇った。腰のカウンターを覗いたから。
「歩数、いってないな……」
「うん……。ゆっくり歩いてるから、カウントされないのかも」
 僕も気になって言った。
 歩数指定まであるのだろうか。
「少なくとも、500歩は歩けって。……書いてあった」
「!!」
「ここを歩いてれば、結構な歩数になると思ったんだけどな……。寒いから客なんていないし」
「………歩きます」
 僕は早く終わらせたかった。帰ればそれで終わりかと思っていた。
 光輝さんの言うとおり、社内で歩くよりここの方が人と会わないし、気が紛れる。
 怒りのようなものまで込み上げてきた。なんでこんなこと、させられるのか。何で僕なのか。
 
 光輝さんの腕に掴まりながら、ゆっくり歩き出す。
 でも、池を半周したあたりで、やっぱり歩けなくなってしまった。ベンチに横になって凌ぐ。力が入らなくなって、すぐに出て来そうになるのだ。
「出ちゃう……押さえてられないよぉ……」
 身もだえしながら、小さく訴えた。
 また前が苦しくなっているし。
「光輝さん……。もう出しちゃダメ?」
 しがみついて、見上げる。
「……最終手段はある」
「………?」
 コートのポケットから、封筒のような紙袋を取り出した。
 その中から、真っ黒い固定ベルトが出てきた。
「これはこれでキツイと思う。でも落ちてしまうことはもうない」
 僕は光輝さんの手から垂れている、ゴムと皮で作られているそれを、凝視した。
 いわゆるTバック…。よく女性用下着で見かけるアレと同じような形だった。しかも、真っ黒い革製の。
 唯一恥部を隠す布があるべき三角形の部分には、真ん中にポッカリ穴が開いている。
 穴にはその円周と同じくらいの皮ベルトが縫い付けられていた。
 見ただけで、どう使うかが分かる。
 光輝さんが持っていると、それだけでとても卑猥に見えた。
 この人は黒が本当に似合う。
 ゴクリと喉を鳴らした。こんなもの、ほんとは嫌だ。でも……。
「光輝さん……。僕をトイレに連れてって……」
 そう言って、僕は両手を差し出した。 
 


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