たまには、シャッフル
 

 
「あれ!?」
 
 
 僕は、そこにちょこんと座っている野原君と目を合わせた。
 暫く見つめ合う。
 
「……………?」
 
 二人で、頭の上に???を浮かべた。
 
 ………もしかして
「野原君…。もしかして…僕の伝言、受け取った?」
「……そこにいた先生に、ハマナカ先生は? って聞いたら、これ渡されました」
 首を横に振ると、泣きそうな顔で、握っている物を僕に差し出した。
  
 ──僕の走り書きだ…。
 
 案の定、伝言がすり替わっていた。
 うーん。……これは…マズイですね……。
 
 コーヒーショップ内の、カウンタースツール。そこにどうやって上ったのか。ずり落ちそうになりながら座っている野原君を見つめて、僕は途方に暮れてしまった。
 
 そこへグッドタイミングに濱中先生から携帯連絡が入った。
「あ! やはりそうでしたか。……ええ、こっちでちょこんと座ってますよ。こちらは長居できない場所なので、僕がそちらへ合流します。ハイ。こちらこそ、よろしくお願いします!」
 僕の携帯内容をじっと聞いていた小さな顔は、もう、いよいよ泣き出しそうだった。
「君の濱中先生の所へ、行きましょう」
 にっこり微笑むと、野原君にも笑みが浮かんだ。
 僕の車に乗せて、走り出した。
 いつもよりちっちゃい左の質量感に、違和感があって笑ってしまった。
「?」
 野原君が、笑った僕を見上げたらしい。
 僕は、前を見ながら野原君に話しかけた。
「濱中先生…カッコイイですね」
「………ハイ」
 嬉しそうな返事が、返ってきた。
「野原君。元気になりましたね」
「え…」
「泣きそうだったから。一学期の終わり」
「……あの時……。お世話に…なりました」
 納得いったように、頷いている。
「僕……あの時が、一番辛かったんです。……勘違いだったんですけど」
 ちらっと顔を見てみると、恥ずかしそうに赤面していた。
 かわいいなあ。やるなあ……濱中先生ってば。
 僕はまた微笑んだ。
「濱中先生は…やさしい?」
「 はい!」
 元気に即答されてしまった。
 ……うーん、今度は僕が赤面。
 
「……浜中先生、聞いてもいいですか?」
 
 小さな声が、恐る恐る尋ねてきた。
「…うん?」
「瀬良君と…いつまで……その、……付き合っていく…予定ですか?」
「予定って ……」
 思わず笑った。そんな言い方で、そんなこと訊かれるなんて、思ってもみなくて。
 でも、笑ったあとは、溜息をついてしまった。
「…僕は、怖い……怖いです。若い瀬良君が、いつ気が変わるか判らないと思うと。いやでも女の子に目が行くようになる。そしたら、……おじさんの僕なんて」
 それ以上は辛くて、一回言葉を切った。
「………」
 隣からは、息を呑む気配が伝わってくる。
「……それでも、彼に惹かれてしまうんです。どんどん彼しか見えなくなるし…、彼の若さがまた、怖くなるんです。一途な気持ちだけでつっ走って来る。後先考えなさすぎて…」
 今度は、苦笑い。瀬良君の悲痛な顔が思い浮かんだ。
 ”どうして”って、いつも聞いてくる。
「やっぱり…僕がコントロールしなきゃって、冷静な自分がいて。……その気持ちが不安にさせるんです」
「…………」
「未来を真剣に考えたとき、僕たちは……何処まで一緒に行けるのだろうって」
 もう一度、溜息をついた。
 道が混んでいて、やたらブレーキを踏まされる。
「……僕は、ずっとずっと、瀬良君と一緒にいれたら、そんな嬉しいことはないと思ってるのに。───なんて……こんなこと、野原君に言っても、わからないですね」
 助手席に顔を向けて、泣きそうな顔になってしまった野原君に頭を下げた。
 僕の視線に、悲しげに瞳を揺らせた。
「僕……濱中先生にね、一時の遊びみたいなのなら嫌だって言ったんです」
「……うん?」
「そしたら、俺だって傷つくって怒られました」
 顔をくちゃっとさせて笑った。
「あは……」
 
「…………」
 
「僕が信じないと。…濱中先生の真剣な気持ちに、僕以外の誰が向き合うのかなって思ったんです」
「……野原君」
 前の車が動き出した。僕は視線を前方に戻しながら、彼の言葉を真剣に聞いていた。
「心配したり疑ってたりしたら無理なんです……こんなこと。…あとね」
 可笑しそうに笑いだした。
「濱中先生のほうが、僕より後先考えてないと思います」
 明るく、そんなことを断言した。
「え?」
 僕は驚いて、視線を野原君に向けた。
 恥ずかしそうにニコリとして、先を続けた。
「大人の先生の方が子供みたいなんです。それでもなんとかなるって思えるんです。パワフルな先生を見てると」
「……うん、そっかぁ」
 僕も想像して、笑ってしまった。
 いつも元気な濱中先生。声も動きも大きくて、本当にパワフルだ。
 あの存在感は、とても頼り甲斐がある。
「子供みたいだけど、それでいいんだ」
「そう、そうなんです。だから……先生も…不安になるなんて、言っちゃダメなんです」
 最後は小さな声で、遠慮がちにそう言った。
 僕は胸が熱くなってしまった。この小さな子に励まされて。
「……ありがとう、野原君」
「……ハイ」
 恥ずかしそうに返事をした後、今度は野原君が、フウと溜息をついた。
「でも僕、子供すぎて……おんぶにだっこが辛いです」
 
「……ふふ」
 思わずまた笑ってしまった。今度は声に出して。
 僕より大人みたいな事を言って励ましてくれたり、子供なのに子供だからと言って嘆いている。こんな子供の顔をして……。
 赤信号で止まったので、隣をひょいと見てみた。
「先生…笑わないでください。……僕、すごい真剣に悩んでるんですぅ」
 目を潤ませて、見上げてくる。……かわいいなあ。何かに似てる…。
「ごめんね、笑ったのは悪い意味じゃなくて。……なんて言うのかな。心と身体と立場のギャップに苦しんでいるのがわかるから、可愛くて、つい」
「……ギャップ? ……苦しんでると、可愛いんですか?」
 きょとんとして、聞いてきた。
「うん。ギャップって言うのか…その3つの要素が共存するには、野原君の年代には、それぞれに矛盾がありすぎるんです」
「…………」
「そういうことで、一生懸命に悩んでる野原君が、いいなあって思ったんです」
「……よくないですよぉ」
 潤んだ目はそのまま、眉根だけ寄せられた。
「そうか、当事者だもんね。……」
 僕は視線を前に戻して、アクセルを踏んだ。
「子供だからできないことなんて、お金のことと、権利のことぐらいですよ」
「権利?」
「そう。車を運転したり、どこかの場所を予約したり、入室したり。その支払いもね」
「ああ……ハイ」
 何か心当たりがあるらしく、顔を赤くしたのがわかった。困ったな……僕も照れてしまう。
「なんでも、先生のためにしたいと思ったらしてみてください。きっとそれは伝わります。濱中先生は、ちゃんとわかってくれますよね」
 野原君を見て、微笑んだ。
「……はい! 僕のこと、よく見ててくれるんです!」
 嬉しそうにそう言った。
「……ホントにね。何かしてあげたいと思った時がチャンスですよ。瀬良君も背伸びして、僕になにもさせてくれません。だから何かとそれをみつけては、日ごろの感謝を返すようにしてます」
「 …なにかしたい時がチャンス、ですか…」
 野原君は思案顔で頷いていた。
 
 
 
「……野原君」
「ハイ?」
 改まった僕の声に、緊張して返事を返してきた。
「僕は…本当に、瀬良君との未来が怖かったです。でも今、なんとなくわかりました」
「………」
「たぶん、お互いが怖いんです。瀬良君だって、濱中先生だって、きっと……。だから余計な心配をし過ぎて空回りするし、遠慮し過ぎて擦れ違ってしまうんです」
「………はい」
「だから……素直な心でいましょうね。不安なら不安て伝えるんです。何かしたいなら、させてって言うんです。そこで大人ぶってたら、伝わりませんから」
「…ハイッ!」
 その声に、僕はぎょっとした。
「えっ、野原君……ちょっ……何で、泣いてるの!?」
「先生……ぼく……頑張れる気がしてきましたぁ…」
 僕は車を路肩に停めると、野原君をあやしにかかった。
「ごめんね、泣かせるつもりはなかったんだ……」
「先生のせいじゃ……ないです……」
 しゃくり上げながら、首を振っている。
 ”僕が不安になってたら、いけないんです”
 なんて、さっきは言ってたけど……そう自分に言い聞かせて、踏ん張っていたんだなあ。
 そっと手を伸ばして、頭を撫でた。
 瀬良君……今はこれだけ。……許してください。
 同じ痛みがわかる僕としては、この悲しみをただ見ていることはできなかった。
 泣きやむまで、頭を撫でてあげた。
 
 この子は実年齢より、相当幼く見える。瀬良君は反対に、大人びて見える。
 それでも二人とも同じ年代で、同じような悩みと葛藤を抱えている。
 そして、僕と濱中先生も……立場は違っても、相手が違っても、不安はきっと一緒。
「……人間て面白いですね」
「……?」
 唐突な僕の言葉に、野原君が顔を上げた。
「数学みたいに、答えは一つじゃないのに。式もいろいろあって、人それぞれなのに……」
「……………」
「求めるものは、ただ一つ。たぶんみんな、それは同じものなんです」
「………うん」
 神妙に頷いている。
「さあ、それを貰いに、大好きな濱中先生の所へ急ぎましょう。待ってますよ、野原君のこと」
「……はい! お願いします!」
 瞳をキラキラさせて、嬉しそうに笑った。
 


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